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お話

補足説明

 割長屋の障子の隙間から、まぶしい太陽の光が差し込んでくる。いつも聞こえてくる隣人の声も聞こえない。

「しもうた!寝過ごした!」

 湯左右衛門はガバッと跳ね起き、冷や飯と漬け物を食らい、髷を直し、外へ飛び出した。

 今日は長月の十一日。定例の寄合の日だ。

 長屋を出ると、女達が朝っぱらから井戸端会議をしている。男どもはもうみんな野良仕事か何かに出払ってしまっている。もうそんな時間なのか?湯左右衛門は、五ツ時からある寄合に間に合わないと、大急ぎで駆けだした。幸い城下町で、城は長屋から見えるのだが、それでも半里はある。ひたすら走り続け、城を囲む堀を抜け大門をくぐり、走りに走った。よりやく寄合場に着くと、案外時間に余裕があった。湯左右衛門はその場に「どっこらしょ」と座り込んで、同じ下級武士の平太郎とつたない話をしていた。 

 寄合はいつものように国や町の訴訟で終わった。ほとんどは家老がべらべらとしゃべり、それを見ているだけなので、ずっとぼおっとしていた。昼時になって、やっと寄合が終わり、城門を後にした。

 湯左右衛門はそれほど仕事熱心な方ではない。寄合が終われば、後はぶらぶらしている。もちろんうだつはあがらないが、割長屋にうだつもくそもない。集まりは、目をつけられない程度にすっぽかし、金もないのに店に行ったり、家で発句を詠んだりしていた。長屋は狭いが、一人暮らしの湯左右衛門にはちょうど良い空間だ。昼の八つの頃は、昼寝などをして過ごす。本当は江戸を巡回しなくてはならないのだが、こんな時間、泥棒が出るはずもないし、岡っ引きに任せればいいので障子を開けて日に当たりながら寝る。これが何とも気持ちいい。遠くから近所のがきの声が聞こえてくる・・・。

 隣の長屋から聞こえるまな板をたたく音で目が覚めた。おもむろに外に出る。日が傾きかけて、百姓達が家へと急いでいる。起きたばかりで目のさえぬまま、表通りを歩いていると、向こうから裕吉がやってきた。裕吉は刀店を切り盛りしていて、ここらあたりの下級武士は皆裕吉の店を知っていた。誰が刀を作っているのかは知らないが、安い割に切れ味がよいと寄合中もこそこそ平太郎と話していた。

「これはお久しぶりでございます、湯左右衛門さん」

「昨日あったばかりぢゃねえか。何か新しいもんでもあるか?」

 このように言われると、すぐに調子に乗ってしまうのが湯左右衛門。槍しか使えないのにまた何か買おうとする。

「ちょうど五寸ほどの脇差しを仕入れましたよ。」

「脇差しはつかわねえなあ・・・」

「お安くなってますよ、夜なんかも一本身につけておくと、心強うございますよ。」

 湯左右衛門を襲う輩などいないのに、いつも湯左右衛門はいらぬ買い物をして、ツケを増やしていた。

 そんなのんびりとした一日も、終わりに近づき、夕飯の時間だ。ここで女房でもいれば、温かいみそ汁か何かを作ってくれるかもしれないが、屋台で二八蕎麦を食べて終わりにした。もう暮れ六ツだ。わらを打つ音も聞こえてきた。寝よう。湯左右衛門は、いち早く床に就いた。

割長屋・・・表通りに面していない、裏長屋の中でも比較的大きな長屋

隣人の声・・・長屋は音が筒抜けで、「長屋の壁には目も耳も付いている」といわれた

長月・・・九月

井戸端会議・・・実際に長屋の近くにある井戸の前で話をしていたといわれている

五ツ時・・・辰の刻のことで、七時から九時までを言う

寄合・・・城中会議を寄合いといった。毎月三日、十一、二十二日に行われた

半里・・・里の長さは時代によって変わったが、この場合は二キロ

発句・・・現代の俳句を言う。武士が発句を読むのは珍しいことかも

岡っ引き・・・民間のばくしで、銭形平次が代表的だ

百姓達が・・・このころは、日が暮れる頃には帰るのが一般的だった

槍しか・・・武士だからといって、全員が剣を使っていたわけではない。槍を使う武士もいた

脇差・・・五寸より少し長いぐらいのものが一般的だった

ツケ・・・近くの店なら、その場でお金を払わず年末にまとめて払うものだった

ニハ蕎麦・・・そば粉八、麦二の割合で混ぜた蕎麦。安く、庶民に好かれた

 

 


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